生い立ち


代表者 写真2

◇千葉に生まれ育つ

1963年千葉県いすみ市国吉で生まれました。

その後東金市に移り住み、
 ときがね幼稚園
 東金市立東金小学校分校
 東金市立東金小学校
 東金市立城西小学校
 東金市立東金中学校
 千葉県立成東高等学校
と山武郡市を中心に学生生活を送りました。

◇小中高時代

小学校時代は小学校の分散化に伴い、住まいは同じでしたが2年毎に学校が変わりました。(東金小学校及び分校は現在は無くなってしまいました。)

中学高校と部活動は吹奏楽部で活動していました。
高校では、定期演奏会や全日本吹奏楽コンクール県大会、地域の音楽コンクールや野球の応援と結構忙しく活動していました。

色々と思い出はありますが、2年の時野球が夏の県大会決勝まで勝ち進み「甲子園初出場!?」と応援に力が入ったことを思い出します。
結果は、宿敵「習志野高校」に破れ夢の甲子園となってしまいました。

一方で、学校の授業の中で好きな科目は理数系及び美術関係でした。結果的に現在の職業を振り返ってみると、紆余曲折はありながらも自分の好きな方向へ進んできたように感じます。

◇大学時代

大学は建築学科へと進みましたが、当初は学業よりもサークル活動(jazz研究会)へ熱中してしまい、残念ながら学業が疎かになってしまいました。

しかしながら、授業等で古今東西の建築や現代建築に触れるに従って、次第に設計の世界に引き込まれ、学生の後半は設計事務所でアルバイトをしながら実務を垣間見るようになりました。

そして、卒業年度にアルバイト先の事務所より声を掛けて頂いたのをきっかけに、設計の世界へと入ることになりました。

仕事の経歴

◇都内の事務所に入所

最初に勤めた設計事務所では、主に集合住宅を中心に企画・設計・監理の業務に携わりました。大手ディベロッパーのファミリータイプが中心の分譲住宅です。

アルバイトをしていたとはいえ、社会人としての実務は全く別物で連日遅くまで様々な業務をこなすのに精一杯でした。

振り返ると、学生時代は単純に建築のデザインなど表面的なことしか見ていませんでしたが、実務では当然予算があり事業主の細かな要望に答えなくてはいけません。また法律・条例・指導要綱並びに近隣対応など、様々な業務の上に建築が成り立っていることを肌で感じることになりました。

また、ちょうどリゾートブームが起きた頃で、山中湖や軽井沢方面のリゾートマンションも手掛けることになりました。

◇地元千葉の事務所へ入所

将来的には地元に戻ろうと思っていましたので、一級建築士合格を機に地元千葉へ戻ることにしました。

知人の紹介を経て、地域で大手の設計事務所にお世話になることになりました。ここでは、公共建築を主として様々な建築に携わることができました。

建物用途としては、文教施設(小学校、中学校、高等学校、専門学校)、福祉施設(保健福祉センター、老人ホーム、マザーズホーム、児童館)、住宅(戸建て住宅、集合住宅)、研修施設、パビリオン、耐震改修・・・etc などです。

公共建築は、国が定めた仕様書に従って工事を行うため仕様書を覚えることが必須になります。それまでの民間事業に比べると、格段に仕様が厳しくグレードも高いものを求められました。

こう書くと、民間が良くないようにとらわれるかも知れませんが、そうではありません。民間は経済活動が第一義に問われるため、予算に納まる範囲でできる限り良い建築をつくることを目指しています。それに対し、公共建築は公共の財産といった考えが根底にあり、耐久性・耐震性などに重点が置かれるため仕様が厳しく問われるのです。

このような環境の中で仕事をこなす事により、建築をつくりあげるのに必要な経験や素養を養うことができました。そして、これらの様々な建築に携われたおかげで、どんな用途の建築でも対応できる自信を持つことができました。

◇独立・事務所の立ち上げ

そんな中、関わっていた幾つかの仕事がきりよく終わったため、これを機に独立することにしました。事務所を立ち上げてからは、住宅(戸建て住宅、集合住宅)を始め、事務所、福祉関連施設、店舗等を手掛けて本日に至っています。

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